私は日本語に敏感です。仕事柄です。舞台の人だって日本語に敏感なはずですよね、仕事柄。プロ同士ですから、舞台上の日本語には厳しいです。文法的にどうのこうのということでなく、「この人物がそんな言葉使う?」とか「この場面でその表現様式?」とか。
今回の感想もそのセンです。
『蜘蛛女のキス』
2月4日(木)18時30分
東京芸術劇場・中ホール
1階R列30番
脚本:Terrence Mcnally
作曲・作詞:John Kander & Fred Ebb
演出・訳詞:荻田浩一
出演:石井一孝、金志賢、浦井健治、他
出演者は歌も芝居もうまく、熱演でした。ところが、残念なことに、客席に響きません。
第一幕前半では、お客さんをツカミそこねたかなぁ、と思ってました。元々が、南米の刑務所を舞台にした政治犯とゲイの話。革命に情熱を燃やす若者とか、看守の暴力が横行する刑務所とか、日本人には共感しにくい作品です。
でも、話が進んで感動的に歌い上げるナンバーでも、客席から起こる拍手はよそよそしげ。役者もさぞやりにくかろう。
第二幕冒頭、ゲイのモリーナ(石井一孝)がややオーバーにはしゃいでみせて、客席から好意的な笑い声。何とか流れを変えようとする役者の努力が窺えます。これでお客が乗っていくかと思ったのですが……ダメでした。結局最後まで、お客は芝居に乗りそこねたというか、作品に入り込めなかったというか。
繰り返しますが、出演者たちは歌唱力もあり演技も達者、脇のダンスもうまかった。それでもダメ。こういう舞台もあるのですね。
私個人が舞台に入り込めなかった理由を考えてみると……。
一つは日本語の翻訳歌詞が心に響かなかったから。元の歌詞に忠実なのかもしれませんが、日本語歌詞が散文調で、詩になってないのです。そのため、コトバを無理やりメロディに乗せてる感があり、サビのリフレイン箇所などもなく、聴き終えた後に歌詞が記憶に残りません。素晴らしい歌唱力で歌い上げられても感動できない「歌詞」でした。歌詞の内容の問題でなく、コトバをメロディに乗せて歌う場合の「コトバ」に必要とされるものがなかったから、でしょう。リズムとか様式とか。それが「詩」になってないってことですね。
もう一つは、舞台演出が何だかごちゃごちゃしていたから。舞台上手に縦長のスクリーンを置き、時々映像を映してました。面白いアイディアではあるのですが、相対的に役者の演技力や歌唱力が与えるインパクトが弱まり、一方で観客の舞台への集中力も削がれる演出です。せっかく力のある役者が揃ってるのに、勿体ないなぁと。また、人権無視の刑務所であることを示すために、随所でアンサンブル風に暴行シーンが演じられるのですが、看守が囚人に殴る蹴るの暴行を働くばかりで、繰り返されると単調。そこをシンプルなダンス風の暴行シーンで見せようとするなら、装飾的な舞台装置でないほうが……と思ってしまったのでした。この演出の具象と抽象のバランスが私の感覚ではうまく受け止められなかった、ってことでしょうか。
今回は再演だそうですが、初演はどんな舞台だったのかなぁ。
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