不思議なもので、授業の後は精神的にも肉体的にも自分がカラッポになったような感覚に襲われます。そして、むやみやたらとお腹が空いたり、ひたすら本を読みたくなったり。
きっと、講義って、自分の中にあるものを放出する行為なのでしょう。なので、放出後の空洞を何かで満たさねば、という気になるのだろうと思います。
というわけで、講義の後に行ってきました。歌舞伎座夜の部。
2009年4月15日(水)16時30分
歌舞伎座
3階2列18番
「彦山権現誓助剣」毛谷村
手堅くまとまって楽しめた一幕でした。吉右衛門の六助が洗練されすぎて、素朴さにやや欠けるのが難と言えば難。吉之丞のお幸の品格はこの人ならではで、もっと見ておきたい役者さんです。
「廓文章」吉田屋
伊左衛門の仁左衛門、吉田屋主の我當、吉田屋女房の秀太郎と、三兄弟が舞台に揃っただけで満足できてしまう一幕。三人のじゃらじゃらしたやりとりをこのまま一時間ぐらい見続けていたいと思ったほど。伊左衛門が座敷をいくつも越えて夕霧の様子を見に行く件が何回もあったり、伊左衛門の万歳の踊りがあったり、たっぷり見せてくれました。この芝居ってコメディなのだなぁと改めて思いました。
夕霧の玉三郎、控え目な芝居に徹してたのが、この人には珍しく、遊女の哀感が感じられてよかったです。何と言ってもキレイだし。
「曽根崎心中」
「吉田屋」の後に「曽根崎心中」ってクドいなぁと思っていたら、宇野信夫脚色の「曽根崎心中」でした。ん~、何か、番組立ての中途半端さが拭い切れないです。「時代物・所作事・世話物」とあるべきところを「時代物・世話物・新派」にしちゃった、みたいな。
藤十郎・翫雀のお初・徳兵衛は何度も見てるし、今さら目新しいこともなく。橋之助の九平次は……新派風だから、ま、いいです。でも、我當で見たかった気もします。その我當が、宇野信夫脚本では「いい人」になってる徳兵衛の叔父・平野屋久右衛門に回ってるだけに。我當が実はいい人で、橋之助が嫌味なライバルって、何だか訳分かんなくなってしまいました。脚本が今イチなのか、役者が今イチなのか、結局ニンでないのか……。
終演は21時24分。やっぱり世話物二つってツライと思います。
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