2010-06-27

[歌舞伎]コクーン歌舞伎 佐倉義民伝

 なぜこの芝居をコクーン歌舞伎で? なぜこの芝居を渋谷で? なぜこの芝居を6月に? なぜこの芝居を串田和美が?
 頭の中は疑問符だらけで、文化村通りを登って行きました。




『佐倉義民伝』
6月13日(日)13時
シアターコクーン
2階ML列16番

 15分の休憩をはさんで、二幕3時間。この上演時間って、歌舞伎座の常連にとっては「短い」んですよね。日頃の観劇と比べると、「時間的にも体力的にも楽々見られる軽めの(内容のことではありません)お芝居」。でも、ストレートプレイを中心に見てる人は、「3時間の大作」と受け止めたりしてるらしいです。この違いは大きいなぁ。

 さて、今回のコクーン歌舞伎を見て分かったこと。

 串田和美は歌舞伎のリズムが嫌い、というか、歌舞伎のリズムとは違ったリズムで芝居を運びたいのですね。
 『桜姫』のコクーン歌舞伎初演で「あさひ7おゆき」に物語を語らせましたが、あれは歌舞伎に慣れた身には耐え難いものでした。なぜこんな「素人」に、と思いました。
 今回は、ラップを採用。これを見て初めて、『桜姫』の語りは歌舞伎のリズムに囚われたくないがための「素人」起用だったのだなぁと、納得が行きました。
 義太夫や長唄は他の音楽に代えることができますが(サックスとか椎名林檎とか、使ってますよね)、歌舞伎のリズムが身体に染み付いている歌舞伎役者にセリフ言わせれば「何が何して何とやら~」と歌舞伎調になってしまうのは避けられない。それなら、ラップで、と。
 現代劇の演出家がそういう方向へ向かうことは理解できます。

 それが成功していたかどうかというと、私はあまり面白いと思えませんでした。理由は二つ。
 一つは、ラップの言葉がきちんと聞き取れなかったから。あの言葉を観客の耳に届けるためには、相応の修行が必要でしょう。
 二つめは、ラストのラップがつまらなかったから。現代日本における様々な社会問題を羅列して、考えろ、行動しろ、と煽るものですが、あまりにベタで。少なくとも私は、それまでの芝居から受けた何がしかの感動が、このラップで台無しになったと感じました。このあたりは人によって受け止め方が全く違うだろうなとは思います。

 時は日曜の昼下がり。所は渋谷の東急本店に隣接するBUNKAMURA。木戸銭は1等13500円、2等9000円、3等5000円。お客さんの平均年齢は40代半ば(推定)。歌舞伎座でよく見かける20代の若いお客さんの比率が低く、1等席のお着物率は歌舞伎座より高い。6月にお着物で観劇。

 この客層に、ラップで、日本のために、100年後のために、変わらなきゃ、行動しなきゃ、とベタに訴えることに、私は違和感がありました。共感できなかった。中には、感動したお客さんもいることでしょう。でも、その感動って、終演後にスヰーツ食べながら消費されて終わり、のような気が。

 もう一点、分かったこと。
 去年の歌舞伎版『桜姫』のレビューで、「歌舞伎役者の身体は即歌舞伎の芸に通じるもの」なのに「それを封じるような演出を採用」していることについて、ぶーぶー文句たれました。「役者が台車に乗って動く演出」とか。
 今回も同じ演出がありました。役者の動きが見たい!という私の欲求が満たされないことへの不満は変わりありません。が、歌舞伎固有のリズムから脱したいという方向性があるなら、役者の動きを封じるのはもっともなことなのかもしれないと思いました。歌舞伎役者が動けば、自ずと歌舞伎のリズムが生じます。それを避けたいなら、役者を台車に乗せて動かすというのは一工夫です。見方によっては、素晴らしいアイディア、見事な手法、なのかもしれません。
 ラップの採用と関連して、そんなことに気づきました。

 もしそうであるならば……歌舞伎役者じゃなくてもいいんじゃないでしょうか? 串田和美のコクーン歌舞伎。
 今回の舞台で一番見ごたえあったのは、勘三郎と笹野高史の渡し場の場面でした。

 コクーン歌舞伎の足跡を自分なりに検証しないといけないなぁ、と思い始めました。
 これもほとんど毎回見ていればこそ。

13 件のコメント:

  1. こんにちは。
    私は、金曜に見ました。ラップは私も巧くないな、って思いました。時々言葉が聞き取れないし、内容も。
    もっとうまいラップでやってよ、と思います。笑
    ただ、歌舞伎の始まった頃は、歌舞伎は新しい流行のジャンルだったのですよね?かぶくっていうのは、流行とか、っていうような意味でしたっけ?
    でも今はそれが古典になってしまっている、のを、いま、今の時代のかぶく舞台を作ろうって、なさっているのではないか、と思いました。
    それがラップなの?っていうのは、賛否あるでしょう。
    でも、古典の形式じゃなくて、民衆の声っていうか、全体の意見みたいなのを、出したかったかなって。。
    内容は、メッセージを台詞で言っちゃう位、ベタでしたね。
    娘ッ子はいましたけど、姫は出てこなくて地味でしたね。笑
    うまく書けなくてすみません。。。
    でも串田さん流の歌舞伎っていうことが、コクーン歌舞伎なのだと思います。

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  2. そう、もうちょっとラップがうまかったらもっとよかったのに。

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  3. キム子さん
    > でも今はそれが古典になってしまっている、のを、いま、
    > 今の時代のかぶく舞台を作ろうって、なさっているのではないか、
    > と思いました。
    > でも串田さん流の歌舞伎っていうことが、コクーン歌舞伎なのだ
    > と思います。
     そうですね。その通りなのだと思います。(o^-^o)
     一方で、「今の時代のかぶく舞台」を作るためには、今の時代の形と方法が追求されるべきであって、何十年、何百年と練り上げられてきたホンと物心つく以前から身体訓練を積んでいる役者という「歌舞伎」の伝統的財産を利用するのはどうかなぁ……という気持ちがあるのすね、私には。
     今の歌舞伎を「かぶかせたい」のであれば……ラップの技術と内容をもっと練り上げて見せてくれないと。
     今回のラップはアイディア止まり(^-^;だったかなぁ、と。
     ラップを採用すること自体には、異論ないのです。歌舞伎は何でもアリ。ただし、「なるほど、こう来たか、う~ん」と脱帽させられるレベルで見たい。
     こんなふうに、いろいろ考えさせられて刺激になるのが、コクーン歌舞伎のすごいところ、と思ってます。
     だから毎回見に行っちゃうのですよね。(o^-^o)

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  4. くろせさん
     ですね~。記事では2行で片付けちゃいましたが、ラップがもっと上手くて、言葉とリズムに力があれば、芝居全体の印象(=評価)が違ったと思います。
     終演後に、「ラップ凄かったね~」「あれ、よかったねぇ」と上気した顔で語れるような、そんなレベルまで持って行ってほしかった。それでこそ、ラップを採用した意味があるというもので。
     パンフレットにラップの歌詞(いとうせいこう作詞)が掲載されてるのですが、ラストのベタな詞は載ってない……ことも気になってます。
     あの、ラスト、何だったんだろう?(゚ー゚;

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  5. つまり、歌舞伎でない(ああいや、私にとっての歌舞伎)ではない、それだけの話です。
    30年前は、いつも歌舞伎滅亡が議論になっていましたが、今はそのような議論はありますか?
    「演劇界」の立ち読みすらしないので、疎いです。
    南方録のお茶に対する一言を思い出しますね。

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  6. ただすさん
     歌舞伎ではない、と切り捨てられれば簡単ですよね。(o^-^o)
     私は「歌舞伎」の定義について再考させられてます。以前からある議論ですね。
    > 30年前は、いつも歌舞伎滅亡が議論になっていましたが、
    > 今はそのような議論はありますか?
     一部役者の人気と歌舞伎座さよなら公演のおかげで、現時点では「滅亡論」のめの字もありません。
     その代わりに、観客が変わった、という議論はよくされてますね。
     役者(+関係者)の間では、歌舞伎座が閉場している3年の間に忘れられたジャンルになってしまっては……という危機意識があるようです。
     3年後の新・歌舞伎座。私は、「日本国」の経済・文化状況次第と思ってます。

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  7. 再びこんにちは。
    私は、どちらかというと、歌舞伎役者さん達が参加することに意義があると思いました。普通の役者さんが普通の芝居をすることなら、他でいくらでもやってますし、伝統的なこと、全般にあるんじゃないかと推測しますけど、これはこうなってます、と、何の疑いもなくやっていたことが、再考される機会になるのではないかと、思うのです。
    だからこのような歌舞伎は、観るほうだけでなく、演じていらっしゃる役者さんにも、刺激があってよいと思います。
    あんまり知らないのですが、そんな感じがします。

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  8. 久しぶりのコメントです
    今年はなぜか千秋楽のチケットが手に入り
    いそいそ出かけていったんですが
    なんというか
    お決まりになったスタンディングオベーションに
    立つのがちょっと躊躇されてしまい・・
    千秋楽なので最後はお祭りみたいになって
    その部分は楽しかったですが・・
    おっしゃる通り
    ラップの内容が
    あまりにもベタで・・
    『感動しなさい』といわれてるようで
    その上、聞き取れない・・
    歌舞伎役者の「芸」には
    押し付けられなくても
    鳥肌立つほど感動することあるじゃないですか??
    だから、こう
    『感動しなさい』みたいなのは・・・
    歌舞伎の始まりが
    風刺だったから
    こういう形なのかな・・と
    自分を納得させました
    コクーン歌舞伎は
    対外試合といいますか
    役者さんたちが楽しむ場かなと思いながら
    まっすぐ帰れず
    一人でビール飲んで帰った
    私です(笑)
    コクーン歌舞伎検証してくださいな♪

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  9. キムさん
    > 私は、どちらかというと、歌舞伎役者さん達が参加することに
    > 意義があると思いました。普通の役者さんが普通の芝居をする
    > ことなら、他でいくらでもやってますし、
     あぁ、これはその通りですね。
     私だって歌舞伎役者がやってるから見に行ってるのですもの。普通の役者が普通の芝居するならわざわざ見に行かないですね。
     普通の役者が歌舞伎をベースにした風変わりな芝居をする、なら見に行きます。新感線や花組芝居が(私にとっては)それです。
    > だからこのような歌舞伎は、観るほうだけでなく、演じて
    > いらっしゃる役者さんにも、刺激があってよいと思います。
     一般論としてはその通りだと思います。
     コクーン歌舞伎に関して言えば、回数を重ねて、串田和美も役者側も、お互いの流儀に慣れてきて、刺激が薄くなってるのかもしれないなぁ、と思ってます。

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  10. rinrinさん
     千秋楽ご覧になったんですね。
     コクーン歌舞伎の千秋楽は独特の楽しさがありますよね。舞台と客席が一体となったお祭りみたいな。
     私が見た日は、記事に書いた通り、かなり客席の年齢層が高めで(これは、開演前に客席見渡して気づきました。若い人がすごく少なかったです)、ラップへのノリが悪くて、スタンディングもごく一部の熱心な勘三郎贔屓だけ、劇場全体で20人ぐらい?という感じでした。
     お客さんっての反応って正直で率直なものですから、今回の芝居はそういう芝居だったのだと思ってます。
    > 『感動しなさい』といわれてるようで
     あぁ、これ読んで、ひとつ気がつきました。
     今回のラストのラップに納得行かなかったのは、ある種の「上から目線」だったからでした。
     歌舞伎で、舞台上の役者が観客に話しかけるのは演出の一つで、歌舞伎の特色ですが、役者はお客様のご贔屓に感謝しつつへりくだるのがお約束。
     その枠を踏み越えて「考えろ」「行動しろ」と煽ってくるので、(私には)違和感あったんですね。しかも、内容ベタだし、技術低いし。
     説教好きのスーパー歌舞伎だって、「説教」は登場人物のセリフとして作品世界内に留めていて、観客に直接訴えたりはしないですよね。スーパー歌舞伎はもう10年以上見てないので、最近の動向知らないんですけど。(^-^;

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  11. rinrinさんへのコメントを書いていて、ふと思いつきました。
    ラストのラップ。
    あれ、観客への「直訴」だったのかも。打首覚悟の。佐倉宗五郎だものねぇ。
    だったらアッパレ。
    全員そこへ直れ。打首申し渡すぞ。ふぉっふぉっふぉ。
    ……とまぁ、歌舞伎やるなら、そのくらいの遊び心を徹底して、隅々まで作り込んでもらいたいなぁ。個人的希望です。

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  12. ありがとうございます
    ななさんのレスで
    「もやもや」晴れました
    ��「上から目線」
    それです!
    それ!
    それが、私が感じた
    「違和感」の原因だったんです
    きっと
    歌舞伎はお上には盾突いても
    お客様に偉そうな態度とりませんからね〜
    なんか、スッキリです

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  13. rinrinさん
     私はrinrinさんの前のコメントではっと気がついたのですから、こちらこそありがとうございます、です。
     歌舞伎と思って見てると、「上から目線」はひっかかりますね。それを承知で、歌舞伎の枠を超えた舞台を作りたい、ということなのかもしれません。
     結局、歌舞伎って何なのか、歌舞伎役者って何なのか、考えさせられちゃいます。

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