久しぶりの韓国映画情報、すみません、長いです。やや古めの情報も混じってます。
◆1月~6月映画産業統計 上半期最高興行作は「ターミネーター4」
2009年上半期の映画興行成績が出てきています。データだけ簡単に。各数字は順に、「公開日」「全国スクリーン数」「全国観客数」「全国売上高」です。
ターミネーター4
2009-05-21 704 4,466,142 29,470,969,667
7級公務員
2009-04-22 475 4,031,831 26,355,104,000
加速スキャンダル
2008-12-03 405 3,848,803 25,206,120,900
トランスフォーマー
2009-06-24 1129 3,373,607 22,558,987,833
霜花店
2008-12-30 499 3,291,708 22,462,516,400
ウォナンソリ
2009-01-15 20 2,929,704 19,048,137,000
マザー
2009-05-28 648 2,923,324 19,595,438,500
たった20のスクリーン数で観客数6位に入ってる 「ウォナンソリ」 が目を引きますね。逆に、1000を超えるスクリーンで公開2週にして4位に食い込んできている「トランスフォーマー」人気も凄いですが。
◆シネマ銭争(14) 映画料金変遷史
京郷新聞 2009.07.02
最近、ロッテシネマ、メガボックス、CGVなどが相次いで映画料金を9,000ウォンに値上げしました。値上げ自体についてはすでにあちこちで話題になっているのですが、この記事は「変遷史」というタイトルの通り、韓国の映画料金の歴史をまとめてくれています。
面白いので、これもデータだけ抜粋しておきます。
1990年までは外国映画と韓国映画の料金が別体系となってますので、( )内に外国映画の料金変遷を付記しておきます。どちらも変遷のすべての段階を追ったものではありません。
1963年 55W(70W)
1967年 100W(66年100W)
1975年 500W(73年500W)
1979年 1200W(78年1200W)
1981年 2000W(80年2000W)
1987年 3000W(82年3000W)
1990年 4000W(88年4000W)
1991年 4500W
1992年 5000W
1995年 6000W
2001年 7000W
◆「誤爆弾」ユ・ヒョンモク監督逝去
ヘラルド経済 2009.06.29
以下、他の記事も参照してます。
ユ・ヒョンモク(유현목、兪賢穆)監督は、1925年黄海道(황해도)生まれ。1946年に越南(脱北)して韓国に入り、東国大・国文学科卒業後、映画の道へ。
監督デビュー作は1956年「交差路(교차로)」、代表作は1961年「誤発弾(오발탄)」。韓国映画のリアリズムを開拓した監督とされ、「余剰人間(잉여인간)」「カインの後裔(카인의 후예)」「糞礼記(분례기)」などで大鐘賞、青龍賞の監督賞・作品賞を取っています。メガホンをとった映画は40本余り。
6月28日逝去、享年84歳。
見たい作品、たくさんあるのですけれど……。
この記事には「故人の作品世界は、映像で書いた時代の記録かつ戦後の韓国社会の精神的地図として後世に残っている」とあります。
7月2日の訣別式(告別式)は「大韓民国映画人葬」として挙行され、韓国映画を代表する監督・俳優など大勢の映画関係者が協力・参列したそうです。
ご冥福をお祈りいたします。
◆映画製作者チョン・スンヘ氏逝去
ヘラルド経済 2009.05.18
いささか旧聞に属するのですが、書き遺しておきたいので。
5月17日、韓国映画の製作社「朝」の代表であるチョン・スンヘ(정승혜)氏が亡くなりました。享年44歳。
映画社シンシネ(신씨네)を経て、91年イ・ジュニク(이준익)監督の創立した映画社シネワールド(씨네월드)に入社、「北朝鮮から来た男(간첩 리철진)」「達磨よ、遊ぼう!(달마야 놀자)」「黄山平野(황산벌)」「王の男(왕의 남자)」などを製作。その後、映画社朝(아침)を興し、「ラジオスター(라디오스타)」「とかげの可愛い嘘(도마뱀)」「あなたは遠いところに(님은 먼곳에)」などを製作しています。
韓国映画界の優れたコピーライターとしても、約800編の韓国映画作品にコピーを残し、数々の名コピーで有名な女性です。才気あふれる文章でコラムニストとしても活躍していました。
製作した映画のタイトルを眺めただけで、センスのよさ、豊かな才能が感じられます。44歳はあまりに早すぎます。ご本人も無念だったでしょう。韓国映画界にとっても大きな損失でしょう。本当に残念です。
ご冥福をお祈りいたします。
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