2009-07-12

[リーディング]無駄骨

 「トンマッコルへようこそ」「ガン&トークス」「拍手する時に去れ」などで日本でも人気のチャン・ジン作品。昨年「不器用な人々」のリーディング公演に携わったこともあり、どんな「無駄骨」になってるのか、ドキドキワクワク。






2009年6月28日(日)17時
東池袋・あうるすぽっとホワイエ
自由席
作:チャン・ジン
翻訳:青木謙介
演出:中野志朗
出演:高橋耕次郎(チャン・トッペ)、玉置祐也(ユ・ダルス)、亀田ヨウコ(ソ・ファイ)、彩見江里(ト書き)



 時代も、国も不確かな近未来的な監獄--その監獄は監獄であるということをのぞけば、望むものは何でも手に入るユートピアである。ここの暮らしにすっかり馴染んでいる中年男(チャン・トッペ)、自分が誰で、なぜここにいるのかわからない新入りの囚人(ユ・ダルス)、そんな二人の退屈な日常に若い女が入り込んでくる。女(ソ・ファイ)の登場を契機にそれぞれの記憶が蘇り、交差し始める--。(プログラムより)



 三人の登場人物にナレーション役一人、四人の俳優が演じます。台本片手のリーディングですが、ナレーターも含めて、舞台のあちこちを動き回って演技するタイプの演出です。ホワイエの舞台スペースだけでなく、劇場客席へ続く階段部分やお客さんの後方までを舞台として利用してました。
 役者は熱演。それがアニメのアフレコっぽく見えてくる場面も。演劇作品のリーディングと声優の声の演技って別物なんですね。



 さて、この作品、監獄という閉ざされた狭い空間で、バックグラウンドのよく分からない登場人物たちがボソボソとおしゃべりを続ける芝居だと思うのですが……。
 舞台空間をことに広く使ったのはなぜ? 役者に初めからテンションの高い演技をさせたのはなぜ? <ナレーター=お腹の子>という設定を加えたのはなぜ?



 特に最後の一点は、脚本の改変と言ってもよいような付加設定です。ラストで観客をあっと驚かせる趣向ではあります。が、脚本通りでも、記憶が蘇ったソ・ファイの告白で観客はゾクッとさせられると思うのです。この告白の叫びは、ソ・ファイの過去を明らかにすると同時に、監獄の解釈に示唆を与えてくれるものですし。



 また、ナレーターの衣装は草染風の落ち着いた色合いのチマチョゴリで、知的で品のある大人の女性がセレクトするイメージのもの。その衣装で子供っぽいしゃべりをするものだから、<ナレーター=お腹の子>という付加設定が判明するまで、かなり違和感がありました。
 設定が判明すると、今度は、「赤ちゃんという設定でなぜあのチマチョゴリ?」と新たな疑問発生。
 お腹の赤ちゃんがちゃんと生まれて、大人になって過去を回想して語ってる? 生まれなかった赤ちゃんが、あの世で大人になって、この世での出来事を語ってる?



 付加設定が判明した途端、単なるナレーターが物語の語り手になってしまうので、語り手の視点や立場ひいては物語の枠組が問い直されてしまうのです。
 そのあたりをどう解釈つけて演出してたのかな……。



 いろいろ考えさせられたという点で、刺激的なリーディング公演でした。
 コメディの達人チャン・ジンの脚本であまり笑えなかったのが心残り。



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