コクーン歌舞伎の第10回、初回から15年という節目の年に、2か月連続で鶴屋南北作の歌舞伎「桜姫東文章」を現代劇と歌舞伎で上演するという企画モノ。まず今月は、南米を舞台とした現代劇の「桜姫」です。副題は「清玄阿闍梨改始於南米版(せいげんあじゃりあらためなおしなんべいばん)」。
2005年のコクーン歌舞伎「桜姫」は、現代演劇ファンから絶賛され、歌舞伎ファンから酷評された、評価真っ二つの話題作だったんですよね。今年の企画、うまいなぁ。
2009年6月23日(火)19時
シアターコクーン
2階ML20番
原作:四世鶴屋南北
脚本:長塚圭史
演出:串田和美
出演:秋山菜津子、大竹しのぶ、笹野高史、白井晃、中村勘三郎、古田新太、他(50音順)←こんな風に Bunkamura のサイトに出てました。
歌舞伎の「桜姫」の翻案作品としては面白くできています。
清玄は十字架を背負った聖人・セルゲイ(白井晃)、桜姫は聖女と娼婦という聖俗の性格を持ったマリア(大竹しのぶ)、一度の情交で桜姫が惚れ込んでしまった権助は現実主義的な悪党ゴンザレス(中村勘三郎)と変換、うまくはまっています。残月・長浦コンビは、ココージオ(古田新太)・イヴァ(秋山菜津子)。どうしてこんな名前になったのか分からないんですが、元の設定・性格は引き継いでます。
権助と桜姫の「桜に釣鐘」の彫り物は「黒百合」、桜姫が身を落とした小塚原は「崖下」のスラム街、清玄が桜姫の赤子を抱いてさまよう三囲の土手は「崖下の土手」など、趣向の変換も面白い。
というわけで、南北の「桜姫」の世界と趣向がどのように変換されるのか興味津々、細部まで楽しめた舞台でした。
中村勘三郎、古田新太、笹野高史、うまいですねぇ。
でも、歌舞伎の「桜姫」を知らないお客さんには意味不明な人物設定とストーリー展開だったのではないでしょうか。
最後の場面で象徴的に示されているように、この芝居は、セルゲイとゴンザレスという二人の男を描こうとする意図があったと思われます。でも、タイトルは「桜姫」、サブタイトルは「清玄阿闍梨」、歌舞伎「桜姫」の枠組をそのまま維持。現代劇の手法で演じた歌舞伎作品「桜姫」です。言わば、現代劇風「桜姫」。
なぜこの作品をこのように書き換えて演じるのか、根本的な動機が弱いのです。現代劇風と歌舞伎風と二種類並べて出してみようか(前回は評価真っ二つだったしさ……)という企画意図以上の動機がどこにあるのかなぁ、と。
現代劇として上演するなら、「桜姫」からはプロットだけを借りて、もっと自由な脚本を書いた方が良い芝居になったのではないかと思います。
歌舞伎の「桜姫」に触発された現代劇、見てみたいです。そう思わせてくれた今月の公演は、「桜姫」というコンテンツの可能性を発見した舞台でした。著作権切れの、オープンソースコンテンツですしね。
さらに、来月のコクーン歌舞伎「桜姫」がどのような「歌舞伎」として演じられるのか、非常に注目しています。来月の舞台次第で、今月の現代版の評価が変わってくるかもしれません。
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