大坂豪商のお墓巡り(3) からの続きです。
さらに南へ下って、生国魂神社へ。ここは何度も来てます。一応、浄瑠璃神社と九郎稲荷だけ拝んで、あとは素通り。途中、井原西鶴の像がありました。万句興行(『生玉万句』)とか、一昼夜独吟四千句の興行(『西鶴大矢数』)とか、西鶴がパフォーマンスやってたところなんですよね。
神社から南へ続く寺町。この並びにある西方寺に、三井高利と一族のお墓があります。このお寺も古いお墓が数多く残っていますが、三井家の墓は別格ですぐ分かりました。瓦屋根付きの白壁に囲まれ、「三井家墓所」という石碑まで立ってます。
面白かったのは、白壁の右手には小さなくぐり口があって(上の画像では灯籠の陰になっていて見えづらいですが)、その先にやはり白壁で囲まれた小さなスペースに2基のお墓があったこと。見るとどちらも女性のお墓のようでした。本家筋のお墓に入れない女性でしょうか。別扱いとはいえ、すぐ隣に立派なお墓を建てているのですから、然るべき縁のある人なのでしょう。
墓前にお参りした平野屋・淀屋・三井家、いずれも寺内でひと際目立つ墓石で、当時の羽振りが偲ばれます。どの家も大檀那だったんでしょうねぇ。
西方寺から西へ向かい、松屋町筋に出て北へ進みます。お墓巡りの最後は、下寺町の交差点近くの大蓮寺。ここには石田梅岩のお墓があります。
中央が石田梅岩、向かって右が手島堵庵、左が大坂の私塾・明誠舎の講師岡本孝道の墓です。石田梅岩のお墓と言われるものは、京都は東山五条の大谷本廟(西大谷)と亀岡の生家にもあるそうです。
ここ大蓮寺は、大坂三十三所観音霊場の第二十九番札所でもあります。
今回の大坂豪商のお墓巡りはこれで終了です。谷町六丁目駅を午前10時半頃に出発、大蓮寺を後にしたのが午後2時半過ぎ、昼食抜きで4時間余りの散策でした。幸い、天気は曇りで程よく涼しく、思っていたよりずっと楽に歩き回ることができました。
(5)で、今回巡った場所の地図を載せて、連載を終わりたいと思います。
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大坂豪商のお墓巡り(2)
大坂豪商のお墓巡り(3)
大坂豪商のお墓巡り(5了)
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