今日の講義で、歌舞伎や文楽の登場人物には役柄という類型があり、化粧や衣装・鬘、文楽の場合は首(かしら)などの外見からその人物の身分・境遇・性格・考え方などが分かる、という話をしたのですが。
この点について、講義の最後に書いてもらっているリアクションペーパーで、
今と同じだと思いました。
という感想を散見。
今の世の中で「外見で人を判断する」ことに全く抵抗を感じてなさそうな書きぶりに、ドキっとさせられました。「見た目が9割」どころか「見た目が10割」なのかも……と、こちらが考えさせられてしまうようなコメント。
男女を問わず、ファッションが完全に自己表現の手段となっているから、なのでしょうか。ファッションで自己表現してるなら、外見から自分を判断されるのは、むしろ望むところであるわけで。
もしそうだとしたら、そういう学生たちは、江戸時代の身分社会の中で育まれた、歌舞伎や文楽の人物表現の方法としての「外見」を理解してくれてるでしょうか?
それを理解させるのが、私の仕事なのですけれど……。
「身分でファッションが決まってるなんて」「外見からは人の中身まで分からないでしょ?」と反発してくれる方が、江戸時代と現代とを二項対立的に説明できて、仕事がラクなんですけれど……。ラクさせてくれません、現代を生きる学生たち。
江戸時代に、現代と同じ「自己表現」なんてあり得ません。とは言え、「記号」化している歌舞伎や文楽の衣装や鬘も、その由来をたどれば、ある種の「自己表現」だったかもしれない部分があります。傾城の鬘の立兵庫とか。
考え始めるとなかなか難問ですね。
「表象文化」という科目名にふさわしいテーマではあります。
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