12時開演、22時20分終演(休憩時間を除いて正味8時間20分!)のマラソン観劇。心配していたほど辛くなかったです。片側の隣席が終始空席だったのが幸運でした。
長めの休憩時間に、軽い運動と食料調達を兼ねてお隣の東急百貨店デパ地下へ行けば、同様に、パンフレット片手に彷徨する人たちとそこここで遭遇。思わず「おぉ、同志よ!」と心の内で呼びかけちゃったりして。実際、自然と客席の連帯感が深まる芝居でした。
袖摺り合うどころか、パーソナルスペース侵蝕10時間。前世でどれだけ縁があったのやら。
2009年9月27日(日)12時
シアターコクーン
席番不明(通常舞台後方の席でした)
作:トム・ストッパード
翻訳:広田敦郎
演出:蜷川幸雄
出演:阿部寛、勝村政信、石丸幹二、池内博之、別所哲也、長谷川博己、紺野まひる、京野ことみ、美波、高橋真唯、佐藤江梨子、水野美紀、栗山千明、とよた真帆、大森博史、松尾敏伸、大石継太、横田栄司、銀粉蝶、毬谷友子、瑳川哲朗、麻実れい、他
第一部「船出」、第二部「難破」、第三部「漂着」の全三部作。舞台は1830年代~1860年代のロシア・パリ・ロンドン。革命を志すロシアの若者インテリゲンツィヤたちの模索の物語。
観劇前、2つの疑問を抱いてました。一つは「この芝居が8時間超という時間を必要とするのはなぜだろう?」、二つ目は「8時間超の演劇をどのように観客に提示するのだろう?」。
見終えて感じたのは、農奴解放、社会変革に至るまで、情熱を抱く若者たちが壮年を迎えるまでの道程を描くためには、8時間というリアルな上演時間が必要だったのだなぁ、ということでした。壮大な歴史ドラマを目の当たりにした感じ。
さらに、8時間超、舞台が淡々と進んだ割には飽きることなく見続けられたのは、この芝居が、主人公ゲルツェン(阿部寛)を軸に、ゲルツェンの友人であるミハイル・バクーニン(勝村政信)、オガーリョフ(石丸幹二)、ベリンスキー(池内博之)、ツルゲーネフ(別所哲也)、さらにはゲルツェンの妻ナタリー(水野美紀)、ゲルツェンと不倫関係に陥るオガーリョフの妻ナターシャ(栗山千明)といった登場人物たちによる群像劇となっていて、思想的な連帯による社会的な人間関係と結婚・恋愛による私的な人間関係とが並行して進んで行ったから。登場人物たちの社会的な面と個人の部分のバランスがうまく取れていて、社会派革命物語一辺倒になることも、歴史的人物の人間臭い私生活の物語に陥ることもなく、骨太のドラマを構築するのに成功してたと思います。
第一部は省略が多くて、話に付いて行くのが大変でした。バクーニン家の四人姉妹(紺野まひる、京野ことみ、美波、高橋真唯)が似たような衣装で区別しにくいし、話は飛ぶし。
第二部以降、四姉妹が消えて上記のような群像劇になると、ぐっとドラマの厚みが増しました。それぞれが苦悩しながら成熟していく様が面白い。歴史的事実をもっと理解できていれば、一段と面白く見られたのでしょうけれど。世界史は苦手です。
登場人物の膨大なセリフの中に、歴史は偶然の積み重ねだ、ユートピアなどないのだ、という意味合いの二つのセリフがありました。セリフの主も正確な表現も覚えてないのですが、頷かされるセリフでした。この二つのセリフの説得力の一因は、長いリアルな時間の経過にあったと思います。
休憩時間も含めて10時間20分、見てよかったです。見終わった後に分からない部分や気になる部分が残っていて、普通ならそれを確かめるためにもう一度見たいと思うものですが(実際に見るかどうかは別問題)、今回は「もう一度」という気にはなりませんでした。そりゃそうですよね。
でも、10年後キャストを改めて上演されるなら、ちょっと見てみたいかも。その時は自分の体力が追いつかないか……。
蛇足。
作者のトム・ストッパー氏、国立劇場で上演中の乱歩歌舞伎「京乱噂鉤爪」を観劇、「舞台を称賛」したそうです。こんな記事 が出てました。
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